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御朱印帳シリーズ
ゴールデンウイークの企画 御朱印帳シリーズ(☆01伊勢神宮はこちら)(☆02靖國神社はこちら)
家の整理と共に、御朱印帳をご紹介していくというもの。
本日は佐賀県武雄市にあります、武雄神社の御朱印帳をご紹介します。
武雄神社
『武雄神社本紀』によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとあります。これにより同行していた住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀されました。
而して天平7年(735年)初代宮司 伴行頼に『吾は武内大臣である。艫には住吉神がおられ、艫嶽に祀られていても畏れ多く落着かないので、幸い軸嶽に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。』との神託がありました。行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰を主神に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命を合祀し北麓に奉遷し武雄宮が創建されたと記されています。 (武雄陣じゃHPより)
武雄神社の御朱印帳
毎年10月23日に行われる流鏑馬(やぶさめ)が載っています。
武雄神社の流鏑馬とは、 文治2年(西暦1186年)後鳥羽天皇の勅使左大弁藤原基氏と源頼朝の名代天野遠景が、当社に参詣し、平家追討祈願の御教書を呈し深謝しました。それを武雄2代領主後藤宗明が歓迎して流鏑馬を奉納したのが、武雄の流鏑馬の始まりです。
250m余りの馬場を、砂塵を巻き上げながら疾走する馬の上で、素早く3つの的めがけて矢を放つ妙技は、観る者を魅了します。(武雄神社HPより)
パンダブは一度だけ流鏑馬を見たことがありますが(武雄神社ではありませんが)とても感動したのを覚えています。
裏には樹齢三千年の武雄の大楠が描いてあります。
大迫力の御朱印帳!
そんな武雄神社の御朱印がこちら
大迫力ですね!
芸術品に仕上がっていますね。
御朱印帳だけでも楽しいですね。次はどこをピックアップしようかな。
パンダブでした!
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